心を凍らせろ
2020/12/10 08:53

トリアージという言葉がある。


医療ドラマでよく使われることからご存知の方も多いと思うが、「災害時など多数の傷病者が出た場合に、重症度に分けて治療の優先順位を決めること」だ。


医療現場では今、毎日が終わりのない無限トリアージに陥っている。




「医療現場は逼迫している」

「医療崩壊は起こり始めている」



毎日毎日煽るようにテレビは同じ言葉の繰り返しばかりで


「もう、お腹いっぱい」

聞き飽きた。




「…………で?」苦笑





大切なことは報道しない。

取材力がないのか圧力なのか…


どちらかと言えば司会者が興奮してツバを飛ばして喋ってる方が気になるというものだ(~_~;)






中等度の患者を受け入れる病院はどこも満床。


本当にここもあそこもどこも満床。

これが都市部の現状だ。




そんな中、例えば今、重症を受け入れる施設には2つしかベッドの空きがないとする。


現場は考える。


うちから複数の患者が重症化したら誰を搬送する?

誰がそこに行ける?






重症の施設がなんとかギリギリ回っているのは、そこにトリアージがかかっているからだ。


「もし悪化してもこのままここでいいです」

「ECMOまでは装着して欲しくないです」


ご本人の心からの希望なのか、ご家族の意向なのか…理由はさまざまだと思うが、実際に先進医療を辞退する方がいるから、なんとか
施設間同士が持ち堪えている。


高齢だから

持病があるから

身寄りがないから…



コロナ禍じゃなかったら、もっと丁寧に取り計らったであろう事案が、まるで災害トリアージのように残り2つのベッドを有効に使うために、瞬時に残酷な決断を迫られるのである。



何度も悩んで話し合って、慎重に繊細に対応するはずのことが、コロナでは出来ない。

大切な人と面会すら叶わないのだから。




この先に本当に「尊厳死」はあるのか?


あらゆる可能性を模索しても治療の見込みがなく、人間としての尊厳を保って最期のときを過ごすことが「尊厳死」なのではないのか?





搬送を辞退してその時を迎えることを選択しようとする人。



治療の見込みがないのではなく、治療を受けるベッドが空いてないから諦める。


他人に…命を譲る?





これが先進国で起きようとしている現実である。



もしこの先、働き盛りや若い世代がどんどん重症化して行ったら、残り2つのベッドを巡って明日にも戦争が起きるのではないか?


あり得ないことではないが、怖くて誰も話題にしない。






現場の人間は感覚を麻痺させ、感情を凍らせておくしかない。





医療従事者の疲弊は肉体的なものとは限らないのだ。



色々な価値観の変容に順応し、鈍感でいなければならない日常が ボディブローのように効いてくる。


我々は鬼殺隊ではない。


ただの平凡な人間なのだから。



凍てついた心を抱えて家に持ち帰り、熱いシャワーで溶かしてからこのサイトを開く。



本当にほっとする瞬間。


ここではリラックスして素顔の自分でいられる。


風評被害なんかどうでもいい。


自分が普通の人間か、楽しいことを楽しめているかがとても大切なのだと思う。






我々はみな緊張しながら笑っている。



また明日も明後日も明明後日も

緊張しながら笑って戦い続けるだろう。








そんな現場をテレビは報道しない。




自分らしくありたい。

せめてここにいるあいだはー。


心から願う。


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